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ユナイテッド 93 [アメリカ映画(00s)]


United 93

イギリス人監督が9.11テロを扱い真摯に作り上げた、真実に迫るドキュドラマ。

2001年9月11日。誰もが忘れることができない日です。この日おおくの罪無き人々がテロの犠牲になりました。事件後、様々な映像がテレビで中継され、次々と事実が明らかにされてきました。

そんな中、この事件を映画として製作し人々の記憶に留めたいと思う映画関係者が増えてきました。ただ、この事件をどう切り取りどう残すべきか、実際の行動に移す前に企画立案者は悩みそして映像化を諦めていきました。

イギリス人のドキュメンタリー作家であり映画監督であるポール・グリーングラスは、この事件を安易に扱うべきではないと考えていたようです。しかし、プロデューサーのロイド・レヴィンとミーティングを重ねていくうちにハイジャックされペンシルバニアに墜落したユナイテッド航空93便を描くという方向性を提案します。9月11日にハイジャックされた4機のうち唯一テロリストの目的を達せられなかった1機の話です。

グリーングラスは、映画の製作が見えてきたところで犠牲者の綿密なリサーチを開始します。まずは、遺族へ映画の企画に関する手紙を送り、その後犠牲者がどんな性格で飛行機になるまでどのような行動をとったのか調べ尽くしました。おおくの遺族はスタッフの真摯な態度に心を開き協力していきます。93便には日本人学生も乗り合わせていました。彼の遺族にもスタッフは何度も来日してリサーチを行ったそうです。遺族たちには、映画制作中も定期的に映画の製作状況が伝えられていきました。

93便の乗員乗客以外のリサーチも進められていきました。こちらの担当はマイケル・ブロナーです。彼はアメリカでは有名なドキュメンタリー番組「60ミニッツ」のプロデューサーです。事件の時担当していたおおくの航空管制官や軍の関係者に会い、細かなリサーチを行っていきます。こうして事件の起こったときの詳細が浮き彫りになり、9.11委員会からも貴重な事実が提供され当時の正確な実態がわかりました。

この時点で脚本が作られ、キャスティングが開始されます。映画は、いわゆる演出主体の作りではなくドキュメンタリーっぽいドラマ作りという手法が採用されます。これはグリーングラスが得意とする制作方法です。キャストは有名人を廃し、無名の役者を採用しました。容姿は実際の被害者に似るようにしたそうです。キャスティングされた俳優は、自分が演じる犠牲者の詳細を知ることになります。そしてできるだけ実在の人物になりきろうと努力しました。なかには実際に遺族と連絡を取りながら役作りをした俳優もいました。またパイロット役とCAは、実際に経験のある俳優が選ばれています。これにより圧倒的なリアリティが映画に付け加えられました。さらに管制サイドですが、こちらは本人が自分の役を演じています。今まで航空映画ではまともに管制官を描いた作品は皆無でした。今回は、本物の管制官が演じているのでとても真実みのある管制の現場が描かれています。

撮影は、きっちりとした演出をせず、即興的な演技で構成されていきました。わかっている事実はそのままに、記録に残っていない部分は、役者に委ねられました。それぞれ十分なリサーチを行っている役者は、ハイジャックされた時当人はどう行動したかを演じていったのです。

映画は、リアリティのある作品として完成します。そして犠牲者、遺族に最大限の経緯を払って制作した結果、おおくの人の心を揺さぶるドキュドラマとして観客に受け入れられていきました。アメリカでは配給会社の予想を上回るヒットを記録し、世界的にも好意的に受け入れられました。日本でもヒットしています。

そして、アメリカ人が9.11テロ描く作品がほぼ同時に完成しました。こちらは「プラトーン」のオリバー・ストーンが監督した「ワールド・トレード・センター」です。おそらく感情を前面に押し出し、「ユナイテッド93」とは対極の作品になるのではないでしょうか。アメリカでは「ワールド・トレード・センター」もヒットしているようです。果たしてアメリカ以外ではどう受け入れられるのでしょうか。


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ミュンヘン [アメリカ映画(00s)]


MUNICH (2005)

スピルバーグが描く骨太映画です。

ご存じの通り、この映画は1972年のミュンヘン・オリンピックで起きたテロ事件を題材としています。この事件、実はあまり記憶に残っていないのですが、世界的にはかなり衝撃的な事件でした。その事件はテレビ中継され、パレスチナのゲリラがイスラエル選手団を人質にとってからドイツ警察が救出に失敗するまでが世界中に放送されたのです。

この事件は、第2次大戦終結から27年後に開かれており、ドイツにユダヤ人の選手団が入る歴史的なオリンピックになるはずでした。この事件は、その後オリンピック委員会によってタブーとされてきました。

スピルバーグは、この事件を映像化したいとかなり前から考えていました。プロデューサーのキャサリーン・ケネディは、積極的にこの企画をスピルバーグに推していたようです。しかし、スピルバーグは映像化を安易に行わなかったそうです。それは、この事件が非常にセンシティブで今もなお続くイスラエルとパレスチナの関係と密接に絡んでいるからです。彼は、映像化をすっと拒否してきました。

そんな中、キャサリーン・ケネディが1冊の本を見つけます。「The True Story of an Israeli Counter-Terrorist Team」というものです。この本には、テロの悲劇を中心に書かれたものではなく、事件のその後を追ったドキュメンタリーだったのです。スピルバーグは心を動かされます。そして、ついに企画が動き出しました。

ちょっとプライベートなお話になりますが、私は、学生時代、世界で一番ユダヤ人がおおく住むと言われるニューヨークの郊外で2年間暮らした経験があります。地元では、ユダヤの休日が制定されていて学校も休みになります。町のスーパーではコーシャーーフードと呼ばれるユダヤ人の食べ物を買っていました。そしてユダヤ発祥のべーグルを食べ、友人もほとんどがユダヤ人でした。そんな町に住み、様々な歴史を学び、一緒に机を並べた彼らの気持ちはある程度理解できます。そして、私には中東各国から来た友人も沢山いました。彼らは彼らで私とは全く違う価値観でしたが、普段はノートを見せ合ったり、ランチを一緒にしたり、時には家まで送ってもらったりもしました。彼らはひとりひとりとても純粋で勉強をがんばっていました。ユダヤ人、そして中東からの人々、皆、人間としては全く変わらないのです。しかし、ミュンヘンの事件や、今起きているパレスチナ問題を知れば知るほど、国家の問題、そして個の問題などいろいろと考えてしまいます。

話を映画に戻しましょう。この映画は、私の抱いた悩みを同じように探求していきます。事実をベースに、事件に翻弄される個を見事に描いていきます。そして、いったい何が正義なのかを見ている人に問いかけてくるのです。
ちょっと、難しい映画と思われるかもしれませんが、この映画を見てみましょう。そして、日本にいるとよくわからない事件をちょっとだけ考えてみるのもいいのではないでしょうか。

この作品、映画としてはかなりパーフェクトに近いです。スピルバーグの演出はすばらしいです。特に緊張と弛緩をうまく取り入れ、エンターテイメント映画の法則できっちりと観客の心をつかんでいきます。そして、ジャヌス・カミンスキーの撮影は、今までで一番いいのでは、と思うくらいさえまくっています。編集も素晴らしいです。時系列を崩し、事件をインサートする見せ方は納得です。ジョン・ウィリアムスの音楽は押さえながらも映画が語りたいことをしっかりとサポートしています。ベン・バートの音響は言うまでもなく見事です。

映画は、大ヒットしたかというと、そうでもなかったです。テーマが重いのと、ユダヤ人団体が反発したためです。しかし、自信がユダヤ人であるスピルバーグが、あえて、どちら側にも立たず、事件を客観的に描いていることは評価されるべきです。そして、きっと10年、20年と経つと、この映画の意味が評価されてくるのではないでしょうか。

今年のサッカー・ワールドカップは、ドイツで行われました。ドイツ警察はミュンヘンの事件を教訓にテロ防止策をとったと言われています。そして、今回はあのような悲惨な事件は起こりませんでした。ドイツは辛い経験から警察の機構を見直し、セキュリティ対策は万全だったようです。

イスラエルは、あの事件から何を学んだのでしょう。映画にも出てきますが、ひといひとりはとても純粋な人々が集団となり戦争を続けています。この映画もイスラエルでは不評だったそうです。実は、問題の根本をスピルバーグは映画の中に織り込んでいるのですが、どうやら感情的な人々はそれに気付かなかったようです。

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シリアナ [アメリカ映画(00s)]


Syriana (2005)

ジョージ・クルーニー主演の骨太社会派映画です。

eBAYを創設し、ビジネスで大成功を収めたジェフ・スコルは、自分で築いた莫大な財産を映画制作に投資します。
しかし、彼は映画を制作してさらに大儲けを企もうとはしませんでした。映画好きの彼は、近年、興行的に成功しない社会派な映画を作ろうとしたのです。

最近は、映画のすべてが興行収入ランキングで語られてしまいます。これはアメリカも日本も同様で、かつては作られていた骨太映画や社会派映画は息を潜めてしまいました。とにかく利益率を追求した結果、ハリウッドの映画はっどれも似たような作品ばかり。公開直前に大量にTVCMを放送し、買収された映画評論家の提灯記事になびきお客さんが映画館に行列を作るといった光景が当たり前になってしまったのです。スコルは、この状況を悲観し、儲からなくても映画の幅を広げるべく、スタジオがGOサインを出さないような地味な企画に投資を続けたのでした。

スティーブ・ギャガンは、「トラフィック」の脚本家ですが、今では「ダ・ヴィンチ・コード」の脚本を断った男として有名です。彼もまた、商業主義に陥った映画に荷担したくない映画青年でした。ギャガンは、  「トラフィック」での脚本を書く前にストーリー上関係のある石油ビジネスをリサーチする機会がありました。そこで、「石油」の問題を知ることになります。そして、石油問題をテーマにした映画の脚本を書こうと思いました。

その後、ギャガンは、ロバート・ベアの原作「See No Evil」と出会います。ベアの本はほぼ実話を元に書かれており、内容は衝撃的なものでした。ギャガンは、ベアと話し合い、この本を原作に映画作りに着手します。

一見、大ヒットしそうにないこの企画を支援してくれたのは、スコルと、「トラフィック」の監督であるスティーブン・ソダーバーグです。スコルは資金を出し、ソダーバーグは、制作会社を提供してくれました。

ギャガンとベアの二人は、フランス、ロンドン、ローマの石油関係者と接触し、内部情報を聞き出します。同時に綿密なリサーチを行いました。モガディシオでは実際のCIA工作員とも接触します。そしてダマスカスで二人の前に現れたCIAの元工作員は、強烈な人物でした。この元工作員が映画の主人公のモデルになります。
さらにギャガンは、ベイルートでヒズボラのトップと話し合うことまでしています。ご存じの通り、現在、ベイルートは戦争状態です。ここ数ヶ月は毎日のようにニュースで報道される場所で彼らは取材を行ったそうです。「石油」の利権を巡るアメリカ、石油産油国の内情を暴露し、その裏に潜む利権争いや宗教の問題までも浮き彫りにする演出力は、このように地味なリサーチがあったからできたものです。

制作は、ソダーバーグの制作会社、セクション・エイトが全面的にバックアップしました。ご存じかとは思いますが、この制作会社は、スティーブン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー、マット・デイモンが参加していることで有名です。脚本を読んだクルーニーとデイモンは出演を快諾しました。

こうして、一見地味で、ヒットしそうもない映画が制作されたのです。撮影は、バルティモア(アメリカ)。モロッコ、スイスなどで行われました。中東での撮影は、911以後の政情不安定な時期に強行されました。現地では英語を含めると4カ国語が飛び交い、撮影は困難を極めたそうですが、事故も起こらず無事にクランクアップしました。

主演は、クルーニー。デイモンのほかにジェフリー・ライトやクリス・クーパーといったすばらしい役者が揃いました。とくにライトの演技はすばらしいものでした。彼らがこの映画にさらなるリアリティを与えています。

映画は2005年に公開されましたが、大ヒットしませんでした。これは、予想されたことではありますが、残念な結果です。ただし、この映画を見た人々の心には映画とそのテーマが強烈に刻まれたようです。今、起こっている戦争や原油高について我々はあまりにも無知です。どうしてこんなことになっているのかを知り、個人で考える、こういう映画があってもいいのではないでしょうか。ちょっと堅いですが、今回は骨太社会派映画の紹介でした。

ジェフ・スコルは引き続き「シリアナ」のような骨太映画に積極的に資金を提供し、赤字を更新し続けています。

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パイレーツ オブ カリビアン デッドマンズ・チェスト [アメリカ映画(00s)]


Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest (2006)

3年ぶりのシリーズ続編。全3部作の2作目にあたります。

2003年、パイレーツ オブ カリビアン 呪われた海賊たち が世界的にヒットすると、ディズニーはすぐに続編の制作に着手します。ディズニーは、当然、1作目と同じスタッフとキャストで望むことがベストだと考えました。

皆さんもご存じだとは思いますが、映画の続編を制作するのには膨大な労力が必要です。
続編を作るメリットは、前作の認知度があるため、宣伝が楽であること。そしてヒットしやすいことがあげられます。要は安易に稼げるのです。スタジオのトップはリスクを回避するため、さかんに続編の制作を望むのです。
しかし、そう簡単に続編は作れません。まず、原作がある場合は、原作者の同意が必要です。原作がなくても映画に関わった監督や脚本家などストーリーやキャラクターを創作した人々からの許諾も必要です。そして、出演者に関しては、個別交渉となるのです。これらの交渉をプロデューサーはひとつずつ潰していくのです。

この問題に気づいたスタジオは、ここ20年は、どんな映画でも契約時に続編オプションと呼ばれる手続きを済ませるようになりました。スタッフもキャストも、続編が作られる場合は、ある一定条件で参加することが義務付けられてしまったのです。

この悪しき習慣は、様々な悲劇を生み出します。たとえば、ディズニーが90年代に大量に作った名作の続編です。これらはビデオ販売を目的としたもので、過去のディズニーアニメに対するイメージを壊してしまいました。もし興味があれば、ビデオ店に行ってみてください。「ピーターパン2」や「リトル・マーメイド2」など見るに堪えない続編をたくさん発見できます。さらにターミネーター・シリーズの場合は、原案権をプロデューサーが握っていたため、パート3に反対のキャメロンを外し、強行制作されてしまいました。皆さんも見たとおり、このパート3によりシリーズはターミネートされてしまいました。

ちょっと前置きが長くなりましたが、パイレーツ オブ カリビアンはどうだったのでしょう。当然、パート1の時に続編に関するオプション契約は結ばれていました。映画がヒットすると、今回は誰も反対せず、ズムーズに続編制作が決定したようです。これにはいくつかの原因が考えられます。まず、パート1に参加したスタッフとキャストは皆若く、それほどキャリアがあったわけではなかったことがあげられます。この映画に参加したスタッフ&キャストは、この映画のおかげで人気が出て、その後、大きな仕事が舞い込んでくるようになりました。参加した誰もが、この映画を大切に思っていたのです。だから続編が作られるならまた参加したいと考えたのです。そして、脚本家が同じだったこともスタッフ&キャストが参加する一因となりました。脚本家が変わると、作品のカラーがどうしても変わってしまいます。今回は幸運なことにパート1と同じ脚本家チームが前作のイメージを忠実に受け継いで完成させています。これで完全なる続編が作られることになったのです。

続編は1作に収まらないので、2作品同時に制作されることになりました。このやり方は「バック トゥ ザ フューチャー」や「マトリクス」と同じやり方です。まず1作目がヒットしたので、パート2と3を同時に制作するのです。このやり方のいいところは、リスクの分散です。「ロード オブ ザリング」や「スターウォーズ」のように一度に3作を制作する場合、もし1作目が興行的にうまくいかなかった場合、当然パート2,3も失敗します。うまくいかなかったときは赤字が膨大な金額になってしまいます。しかし1作目がヒットした後ならば、パート2,3のリスクはあまりないのです。

映画は、カリブ海バハマで行われました。今回は、綿密にくまれたスケジュールに従い、手際よく撮影されたようです。それでも、膨大なセットや衣装、そしてエキストラやスタッフを賄うための食事など、アメリカからバハマまで膨大な量の資材の運搬など、バックヤードのスタッフたちは大変な苦労を伴ったそうです。ブラックパール号は、新造されました。これはもともとある船を8ヶ月かけて改造したもので、映画にはこれがかなりおおく登場しています。

そして、撮影後、十分な時間を使って前作よりも複雑なCG処理を行いました。この作業を請け負ったのはILMです。前作と同じスタッフによります。今回の最大の難所はデイヴィ・ジョーンズです。このタコのような船長の顔はほぼCGで作られています。あまりにもリアルなので違和感なく見てしまいましが、逆に出番のおおい役にここまでのCG処理を加えるのはILMでしかできない技でしょう。とにかくこのジョーンズの顔は今回の見所のひとつです。

映画のストーリーは、驚くほどある映画に酷似しています。それは「帝国の逆襲」です。構成上も3部作の真ん中であることが似ていますが、キャラクターの立ち位置なども、パート2に入り驚くほどそっくりになります。海賊の血を引くウィル・ターナーは、ジェダイの血を引くルーク・スカイウォーカー。総督の令嬢エリザベス・スワンは、同じく総督の令嬢レイア姫。そしてどっちつかずのヒーロー、ジャック・スパローは、どっちつかずのハン・ソロなのです。そして、パート2では、ついに!主人公の父親が登場します。ビル・ターナーはもちろんダースべーダーです。さらに、「帝国の逆襲」では、ハン・ソロが冷凍保存され、結末では「どうなっちゃったの?」と思ってしまいますが、これも同じストーリーが用意されています。こまかなことでは、スパロウの元部下で目が取れてしまうラゲッティと太ったピンテルは、ダースベーダーの下にいたR2-D2とC-3POの関係に似ています。

この壮大なストーリーのコピーは、非難されるというより肯定的に受け入れられているようです。「スターウォーズ」ファンの私もとても楽しく見ることができました。このあたり、やはり脚本家と演出家、そして個性的な俳優人の勝利なのでしょう。

音楽は、クラウス・バデルトから、師であるハンス・ジマーに変わりました。といっても1でも、本当はジマーに依頼していたのですが、あまりヒットしないと見たジマーはバデルトに仕事を振ったのです。しかし予想に反し大ヒットしたので、今回はちゃっかりジマーが担当しています。サントラを聴くと実はバデルトの作曲したあのメインテーマがないのです。そう、皆さんが聞きなじんでいるあの曲はこのパート2には入っていないんですね(アレンジは結構使われています)。

そして、パート2の公開にあわせ、ついにジャック・スパローがディズニーランドの「カリブの海賊」に登場しました。皆さんも行く機会があったら是非スパローを探してみてください。

映画は、お約束でエンドロールの最後に遊びがあります。

パート3は2007年5月の公開です。

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パイレーツ オブ カリビアン 呪われた海賊たち [アメリカ映画(00s)]


Pirates of the Caribbean: The Curse of the Black Pearl (2003)

続編も大ヒットしたシリーズの第1作です。

ディズニーは、90年代からトップが変わり、映画が急にヒットしなくなってしまいました。これには理由があります。トップは、地味な作品を好み、「夢の国ディズニー」を創作するというよりも、会社を運営し株価を高めるほうに軸足を置いてしまったからです。これに対し、ロイ・ディズニーをはじめとする夢の国の人々は反発し、社内は大混乱に陥っていたのです。

そんな中、ある企画が浮上します。古くなってきた「ディズニーランド」のてこ入れです。日本では今でもディズニーのコンセプトはしっかりと活きています。しかし、アメリカでは「ディズニー」は古き良き時代の産物で、今のものではないのです。そこで、ディズニーランドにある人気アトラクションをテーマにした映画を作るという前代未聞のプロジェクトがスタートします。

ご存じの通り、ディズニーランドのアトラクションのおおくは、映画を元にしたものです。映画がヒットしてからアトラクションになるのがあたりまえでした。今回はこの逆のアプローチをするというのです。

候補は2つ。人気のあるアトラクションが選ばれました。ひとつは「カリブの海賊」。もうひとつは「ホーンテッド・マンション」です。
ディズニーは「カリブの海賊」をジェリー・ブラッカイマーに依頼します。ブラッカイマーはディズニーと契約しているフリーのプロデューサーで唯一の稼ぎ頭でした。「ホーンテッド マンション」はディズニーの制作会社に発注されました。

ジェリー・ブラッカイマーは、「リング」「メキシカン」のゴア・ヴァービンスキーを監督にします。そして、既にある「カリブの海賊」を研究し、ストーリーを構築していったのです。既にあるイベントをストーリーに取り入れながらおもしろい物語をつくるというのはとても難しい作業です。脚本は、ディズニーのアニメに関わってきたテッド・エリオットと「マスク オブ ゾロ」などリメイク映画に携わったテリー ロッシオなど計4名が作り上げました。

そして、生まれたのが、映画としてなかなか成功しない主演が3人の映画です。映画は2時間という時間の制限からなかなか3人の主役を描くのは難しいとされています。過去に3人の主人公が活躍してヒットした映画は「スターウォーズ」など数えるほどしかありません。しかし、海賊を主演にすると、誰もが予想できる単純な映画になってしまいます。よって、ウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)とエリザベス・スワン(キーラ・ナイトレー)の恋愛を軸に海賊ジャック・スパローが絡むというストーリーになりました。

オーランド・ブルームは「ロード オブ ザ リング」シリーズで人気が出てきた俳優です。そしてキーラ・ナイトレイは、「ベッカムに恋して」という地味な映画に主演していたくらいの無名の新人でした。映画のヒットのキーはスパローのキャスティングにありました。そこで、今まで奇妙な役を演じているジョニー・デップが選ばれます。

撮影はカリブの島々で撮影されました。公開が迫っていたためかなりのスピードで撮影されたようです。私は公開1ヶ月前にあるCG制作会社を訪れた時、まだCGはあまりできていませんでした。このままでは公開までに完成しないのではないかと思ったのですが、スタッフは黙々と作業をしていました。

映画は公開直前に完成し、なんとか作業は終了したようです。しかし、試写会で使われたフィルムは完成版ではなく、公開日まで何度もCGの直しがあったそうです。

音楽は、ジェリー・ブラッカイマーの朋友Hans Zimmerに依頼されますが、彼はスケジュール的な問題なのか、やる気がなかったのか、Klaus Badeltが作曲することになります。Badeltは、予想に反しすばらしいテーマを作曲しこの映画に最後のスパイスを加えました。

映画は、すばらしい出来となり大ヒットしました。そして、ディズニーランドにもお客さんが戻りました。ディズニーは特にディズニーランドに投資をせずに、客を呼び戻すという新しいビジネスモデルを発明したのです。

ジェリー・ブラッカイマーは、この時点で1つのスタジオよりも稼ぐフリー プロデューサーと呼ばれるようになります。

同時期に企画がスタートした「ホーンテッド マンション」はエディ・マーフィー主演にもかかわらず、興行的に失敗していまいます。そして、今後は、ほかのアトラクションをテーマにした映画を制作するということはぜず、「カリブの海賊」のみにフォーカスすることがディズニーで決定しました。

そして、2006年にパート2、2007年にパート3が制作・公開されることが正式に決まり、再び1のスタッフとキャストがカリブに集結することになるのです。

ところで、なぜこの映画の邦題は「カリブの海賊」ではなく「パイレーツ オブ カリビアン」なのでしょう。日本のディズニーランドは、アメリカのディズニー社のなかのアトラクション部門と契約していて、運営はオリエンタルランドが運営しています。大きな会社なので、「ディズニー」といっても様々なスタッフがいて、様々な考えがあります。アメリカ ディズニーの映画部門が作る映画を配給する日本の配給会社はブエナビスタという会社です。オリエンタルランドとブエナビスタは東京に社を構えていますが、意見は一度アメリカに行き、そして戻ってくるのです。この煩雑な作業がうまく繋がらなかったのでしょう。結局タイトルは統一できなかったそうです。よって、今でも「パイレーツ オブ カリビアン」が東京ディズニーランドの「カリブの海賊」と結びついていない人が結構いるそうです。


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SAYURI [アメリカ映画(00s)]


Memorirs of a Gaisha (2005)

アメリカ人が描いた日本人にも必見の芸者の世界。

1997年にアーサー・ゴールデンが、書いた「Memories of a Gaisha」は、発売されるや400万部を超えるベストセラーになりました。「グラデュエーター」のプロデューサーであるダグラス・ウィックは、すぐに映画化権を得、スティーブン・スピルバーグに監督をオファーしました。当時、このニュースはセンセーショナルで、スピルバーグが遂に自身の好きな「日本」を撮るということで、世界中の話題となりました。

しかし、話はそう簡単には進みません。実際に映画化すべくプロデューサーが動き出すと様々な困難があることがわかってきました。ひとつは、キャスティングです。何度も日本に飛び主人公の「さゆり」に合う女優を捜し求めたのですが、なかなか適任者があらわれませんでした。アメリカでメジャー公開するために必要なのは容姿と演技力だけではなく英語力も必要だったのです。残念ながら、英語力を兼ね備えた「さゆり」役は日本では見つかりませんでした。そして撮影許可に関してもなかなか許可が下りず時間がかかってしまいます。そうしているうちにスピルバーグは別作品にスケジュールをとられてしまいます。スピルバーグは、監督ができる時間が物理的になくプロデューサーという立場でこの作品に携わるようになります。

監督には「シカゴ」でアカデミー賞を取ったロブ・マーシャルが適任と考えたプロデューサーは、彼にオファーを試みます。しかし、マーシャルからはなかなか良い返答が帰ってきませんでした。マーシャルは、自分が本当にこの作品に向いているのか悩んでいたようです。しかし、原作を何度も読み、作品に参加する決意をします。彼なりの原作に関する解釈が見いだせたのです。この映画は、日本だけに限った話ではなく世界中の女性にも起こりえるストーリーである、と。

マーシャルは芸者を「アーティスト」ととらえます。そして、長年のパートナーである振り付け師のジョン・デルーカを呼びます。芸者の美しい踊りと真剣に向き合うためです。デルーカは、日本に行き、日本舞踊について勉強します。数々のミュージカルを手がけてきたデルーカは、日本舞踊が西洋のダンスと真逆である事に打ちのめさせられます。しかし、彼は日本の文化を学び、日本の伝統芸の美しさや所作を学び取ります。そして、ルールを守りつつ、大胆にアレンジを加えた新しい「舞踊」を完成させました。

プロダクション・マネージャーのジョン・マイヤーは、脚本にある、30年代の日本を求め、日本各地を旅します。しかし、現在の日本は、開発が進んでしまい、当時の面影は見つかりませんでした。そこで神社など一部を除き、セットでの撮影を決めます。これには、日本の撮影に対する非協力的な問題も立ちふさがっていました。マイヤーは、調べられるだけ日本の建築を学び、広大なセットをロサンゼルス郊外に建築します。ここは、まるで30年代の花街。日本人が見ても違和感のない見事なセットが建築されました。しかし、ロサンゼルスは太陽がいつも輝いている街です。曇空のおおい日本とは光の量が違います。そこで、広大なセットはシルクの屋根で覆われました。光を遮る事で日本の光を実現しているのです。

衣装は、当時の着物がそれほど残っていなかったので、コレン・アトウッドが作りました。作るといっても日本の着物文化を習得しなければなりません。衣装チームは、何年もかけて日本で様々な文献を紐解き、素材や染色の技術を学びます。そして、見事に着物を再現していきます。着物は何重にも重ねて着るものですので、画面には映らない内側まで制作しています。

数回にわたるキャスティングで、「さゆり」役を見つけられなかったスタッフは、日本人をあきらめアジア人であるチャン・ツィーを選びます。彼女なら、見かけと演技は完璧で、英語も話せます。そして、さゆりを育てる豆葉役にミシェル・ヨー、さゆりと反目する初桃役にコン・リーと日本人以外がキャスティングされました。このように主要な配役は、日本人が選ばれませんでした。そんな中、桃井かおりと工藤貴が、がんばって良い役を獲得しています。さゆりとかかわる男性には全員日本人がキャスティングされました。中でも渡辺謙と役所広司は見事な演技と英語力でこの映画を高めています。

キャスティングに関して、私はリアルタイムで見ていたのですが、やはり日本の芸能界は他国と比べると特殊だなあと感じました。欧米では、演技力や歌唱力があるのは最低レベルで、その上にさらなる魅力があって初めてスターダムにのし上がれます。そして、芸能界の底辺には、いつかは夢をつかもうとする下積をする若者が沢山いるのです。よって、ブロードウェイで東洋人キャスティングが白人に取られると、アジア人俳優はデモ行進をするくらいどん欲です。それにひきかえ、日本ではうまくもない歌を歌い、下手な演技で我が侭を言うタレントがなんとおおいことか!この一連のキャスティングでは、日本人女優は要がないと思われてしまったのです。たったひとりでも「さゆり」役の女優があらわれなかった事がとても残念です。いつの日か、世界に誇れる女優が日本でも誕生する事を願わないでいられません。

話を戻します。撮影現場は、4カ国語が飛び交う複雑な場所となりました。しかしマーシャルは冷静に演出していきます。彼はもともとブロードウェイのダンサーでした。よって、舞台のアプローチで綿密な演出をしていったのでした。十分な準備があったおかげで、現場は問題も起こらず撮影は終わりました。

芸者の世界を初めて描いた「SAYURI」は、世界的に好意をもって受け入れられました。そして日本でも、若者を中心に話題となりました。しかし、日本国内では、「日本人が演じていない」とか「日本人が見ると変」という否定的な意見も見受けられ大ヒットはしませんでした。果たしてそうでしょうか。スタッフは、膨大な勉強をして撮影時には我々日本人より遥かに日本文化に精通しています。そして、意図的に日本を演出しているのです。これは日本を理解していないわけではありません。そして、日本人が演じていないのは上記のような理由があったからです。

映画はアカデミー賞6部門にノミネートされ、アートディレクション、撮影、衣装で受賞しました。そして、「芸者=娼婦」という間違った世界的固定概念を打ち破ったという意味においても日本文化に貢献した映画となりました。

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パニック・フライト [アメリカ映画(00s)]


RED EYE (2005)

「スクリーム」シリーズのウェス・クレイブン監督が描く航空機サスペンスの傑作です。

まず、この映画が劇場公開されずDVDで発売されてしまった事、そしてなんとも醜い邦題を与えられてしまった事がとても悔やまれます。この映画、同時期に公開された飛行機パニックものの「フライトプラン」よりもはるかに優れた作品にも関わらず、この扱い。日本の洋画配給会社が、映画に愛情がないことが露呈される悲しい事態です。

では、本題に入りましょう。
今、最も旬な女優レイチェル・マクアダムスを迎え、ウェス・クレイブンが新しい企画をスタートさせました。今回のテーマは航空機サスペンス。普通、航空機を題材にすると、飛行機が墜落するかしないかというパニックを主軸に物語が展開していきますが、クレイブンはそんなあたりまえの手法は取りませんでした。彼は、ある飛行機に乗り込んだひとりの乗客リサにフォーカスします。その誰もが自分に置き換えられる平凡な乗客がとんでもない事件に巻き込まれていくのです。

まず、脚本がプロデューサーのメイソン・ノヴィックに届きました。脚本を書いたのは、カール・エルスワース。彼はまだ駆け出しの脚本家でした。この無名の脚本家が書いた1つのストーリーがメジャースタジオを動かします。ノヴィックは脚本を読んですぐにドリームワークスに企画を持ち込みます。それを読んだスタジオのスタッフも映画化に前向きになり、このストーリーを演出できるのはウェス・クレイブンしかいないということで、クレイブンのもとに本が届けられました。クレイブンは仕事が続いていて、暫く休養しようと思っていたのですが、この送られてきた本に魅了され監督を快諾します。

スタッフは、まだ有名ではないですが演技力のある俳優を捜しました。そしてレイチェル・マクアダムスとキリアン・マーフィーにオファーが行きました。二人も脚本を読んですぐにOKし、制作が開始されます。名の知れた脚本家でなくても、面白いストーリーさえあれば、数十億円規模の映画企画が動き出す典型的な例です。

オープニングの空港の騒々しさ。チェックインの列に並んでいると、飛行機が定刻通り飛ばないという残念なニュースが入ります。そして、ちょっとしたきっかけで見知らぬ人と会話をすることになる乗客たち。相手が結構魅力的な人だったりすると誰もがちょっとだけ気持ちが弾みます。これは世界の空港で良くある風景です。飛行機に乗る直前の乗客の心理をうまく描いたこんなオープニングでこの映画は始まります。
しかし、そんなとてもありふれた空港からストーリーは一気にハラハラさせられるフライトに移行します。このあたりの演出は、数多くのホラー映画を手がけてきたクレイブンならではの素晴らしいディレクションです。見ている客は日常から非日常になんの違和感もなく移動し、さらに主人公の目線でこのどう考えても乗り切れそうにない困難に直面するのです。ここからは、かなりのジェットコースタームービーとなり、誰もが映像に引き込まれていくのです。

実は、この映画、飛行機が墜落したりパイロットががんばったりすることはありません。そんな気配すら感じさせないのです。そして、ストーリーの大半は狭い機内です。なのに派手なアクション映画よりももっとスリリングな展開でお客をあっといわせます。

主演のレイチェル・マクアダムスと、相手役のキリアン・マーフィー(バットマン・ビギンズでも良い味出してました)は、演技に安定感があり、この難しい役を見事に演じています。きっと、この映画の成功には、彼らの参加が重要なファクターだったに違いありません。監督は、今までの経験を総動員して冷静にこの映画を演出しています。自分がどうしたいか、というより、お客さんがどう考えるかをしっかりと念頭に置き作り上げたこの映画は、一見ポップコーン・ムービーに見えますが、何度も見返すと、細かな点で整合性がとれているA級作品だということがわかってきます。

私は、たった2分程度のトイレのシークエンスがこの映画を名作にしているのだと思います。クレイブンらしい素晴らしいシーンです。

アメリカでは、この映画は大ヒットしました。そして、監督と出演者は、ステップアップしました。(詳しくはこのサイトの各人の章を読んでください)

クレイブン監督は、「パリ」という新作に取りかかっています。今回はロマンスですが、きっとクレイブンらしい演出が光る秀作になるのではないでしょうか。マクアダムスは「Marriage」という映画に参加します。相手役はピアーズ・ブロズナンです。マーフィーは、ニール・ジョーダン監督と一緒に「Breakfast on Pluto」という映画を制作中です。そして既に3作に出演が決定しています。

日本では劇場公開されないこのような名作がまだまだ沢山あります。こういった隠れた名作を見ると、ハリウッドの仕組みが見えてきて面白いです。

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スパイダーマン [アメリカ映画(00s)]


Spider-Man (2002)

日本でも大ヒットしたアメコミ・ヒーローの実写映画。

1981年に、低予算で監督した「死霊のはらわた」が、世界的に話題になり、映画界で一目置かれる存在にまでなったサム・ライミ。彼は、それ以降いくつかのホラー映画を監督しました。1作ずつスケールアップしていく監督スタイルは堅実な彼の性格を表しています。「死霊のはらわた」の後は、続編の「死霊のはらわた2」、そしてパート3の「キャプテン・スーパーマーケット」と力を付けて行きました。(これら邦題はとても酷いです。邦題を一度つけると、それがその後長く使用されるので、ちゃんと付けてほしいものです。それぞれ名作にも関わらず、このタイトルのため日本では誰も見ようとしません)

1990年には、遂にユニバーサルスタジオから声がかかりメジャーデビューを果たします。これが「ダークマン」です。主人公(リーアム・ニーソン)が開発した薬で、自らの顔の組織を破壊してしまいます。この悲劇の主人公が、悪を退治するヒーロー映画です。

ライミは、「ダークマン」以降、「ホラー映画監督」というイメージは薄らぎ、いくつかの大作の監督を引き受けるようになります。「クイック&デッド」(1995)では、西部劇、「シンプルプラン」(1998)ではサスペンス、「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」(1999)では人間ドラマを丁寧に演出しています。これらのメジャー映画は、残念ながら大ヒットしたわけではありませんが、それぞれかなり綿密に脚本が作られ、手を抜くことなくしっかりと映画として成立していることがわかります。

ライミは、映画を監督しながらメジャー監督として必要なハリウッドシステムを勉強していきました。それは、かつて自分で好きなように撮っていた映画とは違い、大金が動き、有名俳優が勝手にアタッチされ、自分の意見は曲げられてしまうといったことでした。マイナーからメジャーに引っ張り上げられた監督のおおくは、この時点で牙を抜かれ、ハリウッドのエクゼクティブの言いなりになるか、野に下るのです。しかし、ライミは、独自の方法でこの壁を乗り越えます。ホラー映画を監督していたとは思えない温厚な性格と協調性を全面に醸し出し、自分のクリエイティビティを出さなかったのです。でも実はスタッフを納得させ自分の意見をさりげなく通すという技を身につけたのです。

そんなライミに、SONYは、大きなプロジェクトを依頼してきました。それが「スパイダーマン」です。ライミは、そもそも「スパイダーマン」のファンでした。よって、映像化するには明確なビジョンがあったのです。彼は、脚本を作りながら自分の作りたい映画をいかに実現化するか考えました。そこでまだ無名だったトビー・マクガイアをスパイダーマン役に起用しました。これは主人公をスーパーヒーローとして描くのではなく、どこにでもいる普通の青年に設定することで観客の共感を得るという作戦です。ライミ自身も子供の頃、ピーター・パーカーに感情移入した漫画おたくでした。ストーリーは、なぜピーターがスパイダーマンになるかを描かなくてはいけませんので、スパイダーマンになった以降のストーリーはわかりやすくないと2時間の映画として収まらないためグリーン・ゴブリンの話を織り込みました。

「スパイダーマン」の全体のコンセプト、ストーリー、キャラ設定、構造は、実は「ダークマン」と同じです。ライミは、スパイダーマンという絶対ヒットさせなければならない大バジェット作品を作るにあたり、一度検証している作品を再構築したにすぎません。そして、「ダークマン」のアップグレード版として「スパイダーマン」を成功に導こうとしたのです。

ハリウッドで、自分のやりたいことをやり抜く処世術、そしてヒットさせるために新しい演出を行わないという安全策を取り作られた「スパーダーマン」は、とても面白い映画となり、ラッシュの段階から話題になりました。当然 SONY PICTURESの宣伝チームも宣伝費を大量につぎ込む方針を決定しました。劇場では、強盗をしてヘリで逃げる犯人がニューヨークのワールド・トレード・センターのビルの間を通り抜けようとすると、ビルとビルの間に張られた蜘蛛の巣に捉えられるという予告編が流れました。観客は映画を楽しみにしていました。

しかし世の中何が起こるかわかりません。ここまで、ヒットさせるために努力していても、うまくいかないことがあるのです。公開直前の秋にあの「9.11」が起こってしまったのです。映画のクライマックスに登場するワールド・トレード・センターは、跡形もなく崩落してしまいました。当然映画の公開も無期延期になってしまいます。

ライミ以下、「スパイダーマン」スタッフはすぐに集まり、脚本の手直しに入ります。そして、舞台をクイーンズボロ・ブリッジに変更して再撮影を敢行。すぐに公開となりました。

落ち込んでいたアメリカ国民、特に子供達にとって「スパイダーマン」は、とても身近に感じられるヒーローでした。そして、かつて子供の頃漫画を読みふけっていた大人達も映画館に足を運びました。映画は大ヒットします。そして、アメコミをベースにした映画は当たらないといわれていた日本でも大ヒットしました。

「スパイダーマン」が公開された直後、すぐに続編の制作が決定します。主役はトビー・マクガイア。漫画版は、映画と同じストーリーのバージョンや9.11直後にテロにあった人々を救出するスパイダーマンなどが作られベストセラーとなりました。

サム・ライミは、自らで克服できる問題だけでなく、予想外の問題にも冷静に対応し、映画を正しい方向に導きました。監督を英語ではDirectorといいます。The Man who direct something。そうある方向にものを導く人という意味です。ライミこそ、真の監督なのです。

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ロスト・イン・トランスレーション [アメリカ映画(00s)]


Lost in Translation (2003)

アカデミー脚本賞受賞作の名画。

監督は、フランシス・フォード・コッポラの娘、ソフィア・コッポラ。「地獄の黙示録」「ゴッドファーザー」を監督してきた気性の荒い父親とは違い、大切に育てられたお嬢さんであるソフィア。彼女は若い頃女優としてでデビュ−します。子供の頃から「アウトサイダー」(1983)、「ペギー・スーの結婚」(1986)など父親の映画にちょっとだけ出演していますが、メジャーデビュー作は「ゴッドファーザー3」(1990)です。しかし、女優として開花することはなかったようです。彼女は父親譲りのクリエイターだったようで、映画撮影の現場でスタッフの仕事に興味を持ちました。そして女優業をしながら、沢山の才能を開拓していくのです。

衣装デザイナーとして「ニューヨーク・ストーリーズ」(1989)に参加したり、カメラマンとしてスパイク・ジョーンズ監督の「Torrance Rises」(1999)に参加します。さらには脚本家としてもいくつかの作品を書き上げ、次第に女優業から映画スタッフに移行して行きました。その様子を見て、父親フランシスは彼女の映画製作を支援します。

完成したのは「Lick the Star」(1998)、そしてサンダンス映画祭で話題になり世界的にアート映画としてヒットした「ヴァージン・スーサイズ」(1999)です。ソフィアはこの2作では脚本も担当し、小作品ながら評価されます。

私は、アメリカ・ユタ州のスキーリゾートで行われるサンダンス映画祭で「ヴァージン・スーサイズ」を完成させたばかりのソフィアに会ったことがあります。彼女は、育ちの良さからとてもおおらかで気さくな性格でした。そして、自分の作りたい映画を力まずに作り続けていきたいと語っていました。お金に苦労している訳でもなく、子供の頃から映画制作現場で育ってきた彼女にとっては、肩肘張らずにのんびり人生を楽しんでいるという感じでした。

「ヴァージン・スーサイズ」が成功を収め、フランシスから借りた制作費もきちんと返却でき、彼女は次の作品にとりかかります。選んだ舞台は東京でした。もともとソフィアは日本がとても好きで、日本文化に精通しています。ロサンゼルスでは、メルロースにある寿司バーのない日本食店で彼女をよく見かけます。彼女は寿司には興味がなく酢の物などを食べています。そして沢山の日本に関する本も読んでいて、プライベートでも東京をよく訪れています。だから、アメリカ人が持っているステロタイプな日本を打破する企画を考えたのも当然かもしれません。

新作も小さなユニットで低予算の映画作りにしました。メジャー映画に行かず、自分のコントロールできる規模にした選択は素晴らしいです。背伸びせず映画作りを楽しんでいるソフィアの性格があらわれています。製作チームはまず、日本で撮影に協力してくれる会社を探しました。それまでも「ブラックレイン」などで日本の行政が映画撮影に非協力的なことは知られていました。そこで、脚本は極力ホテル内にとどめ、新宿の町並みは車の中などから撮影してしまう手法でいくことになりました。日本での協力会社は東北新社になりました。東北新社はCM製作や単館系アート映画製作のノウハウを持っている会社です。そして、小さなスタッフルームもオープンし撮影が始まったのです。

主演は、「ゴーストワールド」などで、良い演技をしていたスカーレット・ヨハンソンです。このキャスティングはソフィアならではの大胆な選択です。そして相手役には、ちょっと人気に陰りがあったビル・マーレイをキャスティングします。映画の中のボブ・ハリスそのままの配役には脱帽です。

現場は日本クルーとアメリカクルーの文化の差、そしてお嬢さんであるソフィアの気ままな性格で混乱を極めたそうです。参加したスタッフによると「ブレードランナー」の現場に近い程の危機的な問題を抱えての撮影だったそうです。しかし、様々なスタッフの努力が実り、映画は完成しました。

完成した映画は、試写の段階で評判になりました。そしてフォーカス配給で公開され、世界的にヒットします。映画は沢山の映画祭で賞を受賞します。アカデミー賞では、名作と競い最優秀脚本賞を受賞するまでになってしまいました。

私は、アカデミー賞の受賞式の日にサンフランシスコにいました。受賞翌日にフランシスが経営するナパバレーのワイナリーを訪れると、ワイナリー全体に装飾が施され、建物の中には「Congratulations, Sofia!」という看板がたくさん掲げられていました。親バカとはこのことだなあと思いながら、アカデミー賞で自分が受賞したときよりも喜んでいたフランシスの顔を思い浮かべ笑ってしまいました。勿論、娘の名前を付けた「sofia」というシャンパンはバカ売れでした。

この映画のヒットで、ソフィアは、「コッポラの娘」というレッテルから解放され、最近ではフランシスが「ソフィアの父親」と呼ばれるようになりました。ビル・マーレイはかつての栄光を取り戻しました。スカーレット・ヨハンセンは、人気女優の仲間入りをしてハリウッド大作に主演しています。
映画の舞台になったパークハイアット東京は、大人気ホテルとなり、今でも毎日ほぼ満室です。New York Bar & Grillも予約をとるのが大変です。

ソフィアは、遂にハリウッドメジャーに進出します。タイトルは「マリー・アントワネット」公開は2006年です。この映画でもソフィアは脚本を自分で書いています。主演はキルスティン・ダンスト。けっこう大きな作品だそうです。さて、大規模映画でソフィアはどんな飛躍を遂げるのでしょうか。今から楽しみな1本です。

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ロード・オブ・ザ・リング [アメリカ映画(00s)]


The Lord of the Rings (2001)

J.R.R.トールキンのベストセラー小説の映画化で、歴史に残るアカデミー賞受賞作です。

監督のピーター・ジャクソンは、ニュージーランド生まれで若い頃は地味に映画産業で働いていました。当時は「Bad Taste」(1987)のような悪趣味のホラー映画を作っていたようです。その頃、彼はニュージーランド政府が映画産業に税金を投入することを知り、早速応募しました。政府に資金提供を依頼した作品は「ブレインデッド」というスプラッタホラーで、とにかく血しぶき満載のグロテスクな映画企画でした。こんな企画に資金を出してくれるはずがないと考えるのが普通ですが、ニュージーランド政府はこのホラー映画に税金を投入します。そして、豚の血を2トン使った「ブレインデッド」は無事製作されます。当時、私は劇場で「ブレインデッド」を見ましたが映画がはじまる前にニュージーランド国旗が映し出され国家が流れたのには驚かされました。ニュージーランド政府は寛大だったのか、映画の内容をチェックし忘れたのかわかりませんが、とにかく政府はとんでもないホラー映画に血税を支払ったのです。そして、この映画が完成したおかげで、ピーター・ジャクソン監督は世界中に知られることになります。「ブレインデッド」は当時のスプラッター映画ブームに乗り、世界中で公開されました。そして、ホラー映画ですが、意外としっかりしたストーリー展開や編集が行われて言いることに気づいた人々がいたのです。

「ブレインデッド」で監督の実力を認められたジャクソンは、ハリウッド(ユニバーサルピクチャー)に呼ばれます。そしてマイケル・J・フォックス主演で「さまよう魂たち」(1996)というコメディホラーを監督します。この映画、とてもハリウッド映画らしくメジャーに出来ています。あまりジャクソンらしさが感じられません。おそらくユニバーサルのエクゼクティブに相当押さえ込まれたのでしょう。映画は悪くはありませんが、大ヒットとまでは行きませんでした。ジャクソンは「ハリウッド・ジェイル」に入ります。映画がコケると、暫くはスタジオから声がかからなくなるのです。

ジャクソンは、「さまよう魂たち」以降5年間1本も監督できませんでした。完全にハリウッドから見放されてしまったのです。しかし、彼は自分で壮大な計画を練っていました。それは、世界的に有名な「ロード・オブ・ザ・リング」を完全映像化するというものでした。原作はどう頑張っても2時間に収められませんでした。そこでジャクソンは思い切った決断を下します。それは「ロード・オブ・ザ・リング」を3作にわけ、同時に製作するというものでした。映画史上1つの話を3つに区切って公開するといったことが行われたことはありませんでした。何故ならパート1では、ストーリーは中途半端に終了し、パート2は途中から始まり途中で終わるのです。おそらくパート1が大ヒットしない限り、続編の成功は望めませんでした。

しかし、完全映像化を目指すジャクソンはこの3部作の同時製作は妥協せず、企画を世界中の映画会社に売り込みました。これほどリスクのある企画はそう簡単に認められず、出資者は集まりませんでした。そんな状況下、アメリカのニューラインシネマが出資にGOサインを出します。ただ全額出資するにはあまりに大きな制作費だったため、映画の配給権を各国毎に切り分けプリセール(企画の前売)という形で資金を集めました。例えば、日本の場合、制作費の10%を日本での映画公開権と引き換えに前払いさせたのです。制作費の10%というのはかなり莫大な数字です。日本では松竹映画と日本ヘラルド映画が幹事となって、さらに複数社から資金調達しました。

このように、世界中の相当数の会社が少しずつ資金を前払いして莫大な制作費を集めていったのです。それでも資金調達はなかなか進まず、この企画を進めようとしたニューラインのスタッフはほぼ全員更迭されてしまいました。資金がようやく集まり、映画の撮影が始まる頃にはニューラインの「ロード・オブ・ザ・リング」推進派は皆解雇され残っていなかったそうです。当時はこの映画のおかげでニューライン自体が倒産すると言われる程でした。

ジャクソンは、「さまよう魂たち」でハリウッドにとても辛い目にあわされた経験から、なるべくメジャースタジオの力が及ばないように「ロード・オブ・ザ・リング」の製作をはじめました。資金調達はハリウッドのメジャースタジオではない小さなニューライン。撮影は全編ニュージーランド、フィルムはフジフィルムです。CGやVFXに関しては、ハリウッドにしか請け負う会社がなかったのですが、ジャクソンは自分でWETAという工房をニュージーランドに作ってしまいました。

こうして、なんとか資金が集まった巨大な計画がスタートしました。公開は以下のようになりました:

The Lord of the Rings : The Fellowship of the Ring (2001) 
 邦題:ロード・オブ・ザ・リング
The Lord of the Rings : The Two Towers (2002) 
 邦題:ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔
The Lord of the Rings : The Return of the King (2003) 
 邦題:ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還

映画業界の誰もが無謀な企画だと思いました。成功を確信していたのはジャクソン本人だけだったのではないでしょうか。映画はほとんど誰の影響も受けず、ジャクソンのクリエイティブ力だけで推進されました。そして2000年のカンヌ映画祭で、フッテージと呼ばれる20分程のダイジェストが公開されたのです。

この上映をきっかけに映画界の風向きが180度変わったのです。そこに映し出された映像は予想を遥かに上回る素晴らしいものでした。そして原作を忠実に再現していることも確認できたのです。カンヌから世界中にこの情報が広がって行きました。

そしていよいよ2001年の公開です。映画は企画当初の悲観論が嘘のように世界中で大ヒットしました。そしてピーター・ジャクソンという素晴らしい監督が誕生したのです。「ブレインデッド」を作った監督だという人はもはや誰もいませんでした。

続くパート2も3も大ヒットです。これはハリウッドも認め、パート3は、2003年度のアカデミー賞を総なめにしました。ジャクソンはアカデミー賞で涙ながらに感謝の念を述べました。かつて酷い仕打ちをしたハリウッドが、今度は暖かく迎えてくれたのです。

ジャクソンは、映画が完結してハリウッドにも認められ、満足してゆっくり休暇をとるのかと思ったら、すぐに編集室に戻ってしまいます。パート3のエクステンド版の編集が終わっていなかったからです。実は、ジャクソンは映画の完全版を製作していたのですが、あまりにも長い上映時間のため、やむなくカットしていたのです。ファンのためにカットしていない完全版をDVDで発売するため、彼はこの作業に没頭しました。

そして遂に、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズは完成したのです。現在、DVDで完全版を見ることができます。全て見ると10時間を越える超大作です。おそらくこれを越える長尺映画は今後も登場しないでしょう。しかし、まったく飽きることなく一気に見せつける演出力は素晴らしいとしか言い表せません。ジャクソンは、歴史に残る名演出家として後世に言い伝えられるでしょう。

この「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのおかげで、ニュージーランドのGDPと雇用率は数パーセントアップしました。それほど大きなプロジェクトだった訳です。ニュージーランド政府は「ブレインデッド」に税金を投入したおかげで、20年後に投入額を遥かに上回る利益を手にすることができました。

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