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クリント・イーストウッド [スタッフ&キャスト]


Clint Eastwood

映画俳優だけでなく、時には映画会社の社長、監督、市長、と様々な分野で功績を残した伝説と化した人物です。

今では、アメリカの祖父、ジョン・ウェインのような存在で、その経験の豊かさ故、多くの尊敬を集めています。
そんな彼も、長いキャリアの中では何度も浮き沈みを経験しています。

クリント・イーストウッドは、1930年サンフランシスコで生まれ、オークランドで育ちました。陸軍に入隊中に友人の勧めでオーディションに参加、55年B級映画「半漁人の逆襲」でデビューします。その後、おおくの低予算作品に出演し、テレビドラマ「ローハイド」のロディ役に抜擢されます。このドラマは当時大人気となり、結果7年放送されました。

しかし、彼は別の場所で知られるようになったのです。60年代にイーストウッドは映画出演を熱望します。このままテレビ俳優で終わってしまうのが嫌だったのでしょう。彼はオーディションを受けますが、ハリウッドではなかなか仕事を見つけることはできませんでした。そんなとき、思わぬところから声がかかります。彼はイタリアに渡り、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタンに出演します。マカロニ・ウェスタンとは、イタリア製の西部劇です。英語ではこれをスパゲッティ・ウェスタンと呼ぶのですが、日本では当時宣伝担当だった淀川長治氏によりマカロニ・ウェスタンと名付けられました。当時は、西部劇が新たな角度から作られた時代でした。この異国制作の西部劇が、ヨーロッパと日本で大人気となりました。そしてイーストウッドは、まずヨーロッパと日本で人気者になりました。これらの映画はタランティーノなど多くの映画制作者に今でも影響を与え続けています。

60年代後半「ローハイド」が終了し、同時期にイタリアからアメリカにも輸入された「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」が大ヒットし、彼はようやくアメリカでも知られるようになりました。

一躍有名人の仲間入りをしたイーストウッドは、マルパソ・カンパニーという制作会社を設立します。この会社、その後一度も経営が傾くことなく経営を続け、現在でもイーストウッドの関わる作品には関与しています。

70年代にイーストウッドは、おおくの戦争映画や西部劇に出演します。しかし、どの作品も大ヒットにはならず、どちらかというとあまりヒットしない俳優となっていきました。そんな中、仕事の量が減ってきていた40才の時、イーストウッドは自分で人生を立て直そうと思い立ち、「恐怖のメロディ」で監督デビューします。ファンにつきまとわれるDJの話を映画化したのですが、撮影期間は4週間半で予算もない映画でした。イーストウッドはこれを逆手にとります。演技、演出をシンプルにしていくのです。その結果映像には恐怖がひしひしと伝わってきたのでした。映画は評価されますが残念ながらヒットしませんでした。

皮肉なもので、翌71年に俳優として参加した「ダーティハリー」が大ヒットします。この作品では自らアクションをこなし2シーンで監督も務めました。その後西部劇2本と「ダーティハリー2」に出演、75年には「アイガー・サンクション」「アウトロー」で監督・出演をこなし、徐々に人気俳優&監督としての地位を築き始めました。

特に「アウトロー」は、映画としての完成度も高く興行的にも大成功した作品です。しかし、この映画、実は別の人が監督をするはずでした。当時は人気俳優だったイーストウッドは監督と意見が対立し、結局監督を解雇して自らメガホンを握ってしまったのでした。この事件がきっかけで、アメリカではキャストによる監督の入れ替えを禁じる規定を作ることになりました。この規定は「イーストウッド・ルール」と呼ばれています。

そして、当時イーストウッドはスキャンダルにも巻き込まれてしまいます。家族がありながら「アウトロー」で共演したソンドラ・ロックとの交際を報道されてしまったのです。しかし、彼はめげずに作品に出演し続けます。「ダーティハリー3」「ガントレット」そして「ダーティファイター」が大ヒット、仕事は順調で私生活はボロボロでした。そしてついに彼は妻と離婚します。

この頃からイーストウッド作品は、どれもがヒットしていきました。「アルカトラズからの脱出」「ブロンコ・ビリー」「ファイヤー・フォックス」....「ダーティハリー4」では「Make My Day」という台詞が有名になりました。

そんな大人気俳優でありながら、自分の子供達に対する愛は変わらなかったようで、「センチメンタル・アドベンチャー」には息子を「タイトロープ」には娘を出演させています。

彼の関わる映画は順調でした。しかしある映画の撮影をしようとしたところ、思わぬ障害にぶつかります。それは撮影許可が下りないというものでした。彼は、アメリカでも重要な産業なのに町が協力できないというのはおかしいと憤り、市長に立候補し当選してしまいました。これによりこの町カーメルでは、以後撮影許可が簡単に下りるようになりました。彼は月給200ドルの市長を任期中ちゃんと勤め上げました。

88年になると「ダーティハリー5」が公開、その後チャーリー・パーカーの伝記映画「バード」を監督しました。「バード」は、ゴールデン・グローブ賞を受賞し、遂に監督として映画界に認められるまでになりました。

仕事は順調、しかしまたもやプライベートはガタガタでした。長く付き合ってきた恋人ソンドラと別れ、慰謝料請求訴訟に。ソンドラとの裁判は面倒なことになりました。その頃監督した「ピンク・キャデラック」は久しぶりの失敗作で、次の「ホワイトハンター・ブラックハート」も興行的に失敗します。そして、仕事とプライベート両方がうまくいかなくなってしまいました。このスランプは2年間続きました。

そして1992年「許されざる者」を監督します。予算がなく、わずか39日で撮影されたこの西部劇は、イーストウッドが長年親しんできた西部劇を見つめ直し、自分が蓄積したノウハウを投入した集大成でした。あまり期待されていなかったものの、公開後から大ヒットとなり、全米興行収入1億ドルを記録しました。そしてこの映画は、93年の映画賞を総なめにします。ゴールデン・グローブ賞、アカデミー賞では作品賞と監督賞も受賞しました。

この頃から、イーストウッドは彼独特の演出法を確立していきます。それは沢山の映画に出演し、演出してきた彼ならではのアプローチでした。演出をするときは、役者が演技を作り上げていく課程をとても大切にします。決して焦らせることなくじっくりと役作りに付き合うのです。そして、撮影はほとんど1テイク。まよいがなく、撮影は停滞することなく進むのです。

イーストウッドは役者から監督へと軸足を移していきました。十分な信頼を得た彼は、ハイレベルな作品作りに没頭していきました。「ピンク・キャデラック」で共演したフランシス・フィッシャーと付き合い始めたイーストウッドは人生で初めて仕事とプライベート両方がうまくいくようになりました。

94年にはカンヌ映画祭の審査員を依頼されます。95年にはアカデミー賞でアーヴィン・タルバーグ賞(貢献賞)を受賞し、映画界のトップに上り詰めます。この時のイーストウッドのスピーチは印象に残るものでした。「人生をゴルフ式に前半と後半に分けると、やっと今後半に入ったところです。前半でミスしたとしても後半で巻き返せばいいのです。私はそうするつもりです。」

既に十分なキャリアを築いてきたイーストウッドですが、さらに後半戦を戦い続けます。95年「マディソン郡の橋」を監督。そして人妻と恋に落ちるカメラマンを演じました。この作品は世界的に高い評価を受けます。しかしイーストウッドは原作の力だと謙虚な対応をして好感を得ました。

96年にはニュースキャスターのデイナ・ルイスと結婚します。

「目撃」では、エド・ハリス、デニス・ヘイズバートと、「真夜中のサバナ」では、ジョン・キューザック、ケビン・スペイシーと個性的な俳優と仕事をし素晴らしい作品を作り上げました。2000年、70才になったとき作った「スペース・カウボーイ」では、長いキャリアで築いてきた友人との共演を果たします。ドナルド・サザーランド、ジェームス・ガーナーといったかつての俳優達が勢揃いしたこの異色作は予想を裏切りヒットしました。

犯罪被害者を描いた「ミスティック・リバー」は、高い評価を得、アカデミー賞に再びノミネートされました。残念ながら賞を得ることができませんでしたが、この映画はおおくの人の心に残る傑作です。2004年に監督した低予算映画「ミリオンダラー・ベイビー」は、この年のアカデミー賞主要部門を独占します。

イーストウッドは、確かに後半戦で見事に巻き返しをしています。2006年には2本の対になる作品を監督します。プロデューサーはイーストウッドとスピルバーグです。硫黄島の戦いをアメリカサイドから描く「父親たちの星条旗」と日本サイドから描く「硫黄島からの手紙」の2本は、既に世界中から注目されています。私はラッキーなことに撮影中、ちょっとだけ内部状況を把握することができました。撮影は相変わらず早く、淡々と進められていたそうです。役者出身だけあって、日本人キャストにも尊敬の念を持ち、素晴らしい演出をしていたそうです。この硫黄島2作が、興行的にどうなるかわかりませんが、きっと映画史に残る傑作に仕上がっているのではないでしょうか。

最後にイーストウッドの言葉です。
「映画から学ぶことはおおいです。自分の弱点を知ったり、それまで経験していないことを学んだりできます。だから興味が尽きないのです。人生、一生勉強です。その意味でこの仕事は楽しい」

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夕陽のガンマン アルティメット・コレクション

続・夕陽のガンマン アルティメット・コレクション

荒野の用心棒

恐怖のメロディ

アウトロー 特別版

ダーティハリー 特別版

ダーティハリー2

ダーティハリー3

アルカトラズからの脱出

ファイヤーフォックス 特別版

許されざる者

パーフェクト ワールド

スペースカウボーイ 特別版

マディソン郡の橋

ミスティック・リバー

ミリオンダラー・ベイビー

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コメント 20

クリント・イーストウッドは好きな役者なので、いろいろな本を読みました。
映画が成功するたび私生活が・・・うまく行かないものですね。
荒野の用心棒、許されざる者が特に好きです。
by (2006-09-25 06:34) 

堀越ヨッシー

なんと言ってもオイラは「ダーティ・ハリー」ですね!。キャラハン刑事に男の美学のなんたるかを教えられたオイラとしては、クリント・イーストウッドは神様みたいな人です。
硫黄島の戦いを描いた新作も楽しみです!。
by 堀越ヨッシー (2006-09-25 07:28) 

かおり

興味深く読ませていただきました。
まったくどれも観ていなかったようですが・・・(笑)
浮き沈みがあったとは言っても”信念”のようなものを
持っていらっしゃるように感じました
「クリント・イーストウッド」名前だけはいろんな意味でよく知っているけれど
一番親しみやすくなったのは”バック・トゥ・ザ・フューチャー3”のおかげ?^^
by かおり (2006-09-25 08:30) 

DSilberling

nekoさん、こんにちは。
「荒野の用心棒」と「許されざる者」は、有名な西部劇の中でも対極にある作品ですね。
私も両方好きです。
by DSilberling (2006-09-25 09:51) 

DSilberling

堀越さん、こんにちは。
私は特に1の追跡シーンが好きです。追う者と追われる者の心理が移動する演出には驚かされました。
by DSilberling (2006-09-25 09:53) 

DSilberling

青い花さん、こんにちは。
イーストウッドは確かに信念がありますね。最近は物静かですが、きっと若い頃は、感情的な面もあったのでしょう。彼のように年をとれるといいですね。
by DSilberling (2006-09-25 09:54) 

クロロ

お久しぶりです。「Make My Day」…BTTF3、鏡の前でマーティーが言っていた台詞ですね(^^)
彼が市長になったとき、「3階(?)建て以上の家を建てられないから、市長になって法律を変えた」というような報道を目にしましたが、理由は全然違っていたのですね~鵜呑みにしたまま数十年を過ごしてしまいました
全部は見ていませんが、「白い…(?)」とかなんとか、南北戦争で負傷した兵士の役で出ていた映画も、部分的に頭にこびりついています。女って怖い…?(笑)
「ファイヤー・フォックス」では、初めて“ソ連の世界地図”を目にし、あの国が“拡張主義”を続ける真理がわかった映画です(←視点がずれました)
「恐怖のメロディ」「シークレット・サービス」も好きですが、やはりダーティー・ハリーかなぁ…
by クロロ (2006-09-25 16:07) 

DSilberling

クロロさん、こんにちは。
Back to the Futureでは、クリント・イーストウッドねた満載ですね。
「ファイヤーフォックス」は一時期続編の企画が動いていました。タイトルは「ファイヤーフォックス・ダウン」これ見たかったです。
by DSilberling (2006-09-25 22:52) 

Naka

こんばんは。イーストウッドのお話、嬉しく拝読しました!
私は「許されざる者」を観てイーストウッドのファンになったのですが、
どの作品でも彼独自のスタイルを貫いているようなところが
格好いいなぁーと思います(^^。
「硫黄島」もとても楽しみです。
by Naka (2006-09-26 23:45) 

DSilberling

Nakaさん、こんにちは。
イーストウッド作品は、見た後、ゆっくりと心に染み入ってきますね。
「硫黄島」きっとじわじわくる映画になっていると思いますよ。
by DSilberling (2006-09-26 23:54) 

plot

クリント・イーストウッド、「ローハイド」のロディー・イェーツからリアルタイムで観ています。このくらい顔の変わらない役者も珍しい。キャラクターは「荒野の用心棒」で変わりましたけどね。
by plot (2006-09-28 11:28) 

DSilberling

plotさん、こんにちは。
「ローハイド」からですか!それは凄いですね。まだまだ現役のイーストウッド、今冬の新作が楽しみです。
by DSilberling (2006-09-30 18:19) 

NO NAME

なんとか、MIXIには入れましたよ。
映画博士みたいですね。
また、うどん食べに行きましょう!
by NO NAME (2006-09-30 22:21) 

DSilberling

NO NAMEさん、こんにちは。そうでしたか。良かった良かった。
またUDON行きましょう。「UDON」は見ましたか?
by DSilberling (2006-09-30 23:34) 

むさ

コメントありがとうございました。中学生のとき彼のファンになりました。
高校生の時には下敷きにイーストウッドやジョン・ウェインの切抜きを挟んでいる
かなり変わった高校生でした。
いやそのセレクトは間違っていなかったと自負しておりますが(爆)
今度の東京国際映画祭 子供が大きかったら行ってましたね。
90歳くらいまで長生きしていい作品を撮ってほしいですね。
by むさ (2006-10-01 18:54) 

DSilberling

むささん、こんにちは。
そうですね。イーストウッドには長生きしてもらいたいです。
そして、もっと良い作品を作ってほしいですね。
by DSilberling (2006-10-01 22:08) 

naonao

ダーティーハリーシリーズとかはあまり好きではないのですが、マディソン郡の橋やミリオンダラーベイビーなどは好きです。
市長になった理由が映画撮影のためというのは、おもしろいと思いました。
華やかな映画スターもやはり私生活ではいろいろあるんですね。
偉人伝記でも読むような感じで楽しめました。
by naonao (2006-10-02 14:55) 

サダー

やっぱりダーティーハリーのイメージが強いですね。
そういやガキのころ44マグナムのモデルガン買って喜んでました。(^_^;
許されざるものやミスティックリバーの演出は重く老練な監督という印象があります。(マディソン郡とミリオンダラーは未見・・・・恥)
「硫黄島」楽しみです。
by サダー (2006-10-10 02:07) 

Kimball

DSilberlingさま、
こんにちは。
毎回楽しみに読ませていただいております!
「ナイス」だけでコメントが残せないことが多いとは
思いますがご容赦ください。
「南京虐殺」の映画を(イーストウッドさんが)作る、みたいな
ガセ・ニュースがありましたが、ありゃーなんだったんでしょうねえ?\(^o^)/

小生は、TVでみた「ガントレット」が印象的でした!!
(あ、もちろん、ダーティハリーをオンタイムで観た世代ですが)
最近、あれのパクリみたいな映画をやっておりましたね。\(^o^)/
by Kimball (2006-11-11 17:47) 

DSilberling

Kimball さん、こんにちは。
映画の企画はかなり製作される前になくなってしまいます。もしかしたらイーズとウッドがどこかでそんな話をしたのかもしれません。

彼の次回作は「硫黄島からの手紙」です。日本人キャストで製作されたアメリカ映画です。
さて、どんな作品になっているのでしょう。私はプレミアに招待されたので、早めにレポートしますね。
by DSilberling (2006-11-11 18:19) 

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