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ザ・ロック [アメリカ映画(90s)]


The Rock (1996)

ハリウッド映画の集大成といっても過言ではない王道アクションエンターテイメント作品です。

プロデューサーは、ジェリー・ブラッカイマーです。彼は、ドン・シンプソンという兄貴分の名プロデューサーと共におおくの映画を制作してきました。名が知られてきたのは「アメリカンジゴロ」(1980)あたりからでしょうか。人気を不動のものにしたのは「フラッシュダンス」 (1983)の大ヒットです。サントラを先行発売し、収録曲が次々とビルボードのトップ10にランク入りしました。このサントラのヒットに後押しされるような形で映画の興行も大成功しました。これ以降シンプソン&ブラッカイマーは音楽をうまく利用してヒット作を連発します。「ビバリーヒルズ・コップ」「トップガン」「デイズ・オブ・サンダー」....

しかしヒットの陰でドン・シンプソンは薬に溺れて行きます。映画プロデューサーとして一緒に成功してきたブラッカイマーは、シンプソンを助け、一人で映画を作り続けていたのでした。

そんななか、1本の映画の企画が動きだしました。元米軍士官がサンフランシスコ住民を人質に取り国に反旗を翻す物語です。ヒーローとして扱われていた士官がアメリカに抵抗するという重いテーマとハリウッド映画らしい王道な演出をかけあわすというハードルの高いプロデュース能力が求められました。

主人公はFBIの職員でありながら現場経験のないビートルズおたく。彼が事件を解決しなくてはなりません。そこで永久的に幽閉されるはずだったスパイが助っ人として登場します。このキャスティングは絶妙で、当時頭角を現してきていたニコラス・ケイジがFBI捜査官、それを助けるのがショーン・コネリーというわけです。当然コネリーは元英国諜報機関の諜報部員007だということを暗示しています。
監督には、当時MTVのミュージッククリップで名を馳せ「バッドボーイズ」で軽快な演出を得意としていたマイケル・ベイを起用しました。
この座組で、映画のクオリティは保証されました。ブラッカイマーは、さらにヒットを確実にするため国を背く元士官にエド・ハリスをキャスティングします。ハリスは「ライトスタッフ」(1983)、「アビス」(1989)で古き良きアメリカを象徴するような正義感みなぎる役を得意とする大俳優です。

撮影は、サンフランシスコで進められ、ロックと呼ばれるアルカトラズでも撮影されました。カーチェースシーンも綿密な計画のもと終了し、いよいよ完成を待つばかりというときひとつの問題が生じました。

CMやプロモーションビデオを得意としていたベイは、編集をAVIDで行いました。1990年代前半まで映画はフィルムで撮影し、そのフィルムを切ったり貼ったりして編集をしていましたが、ベイはテレビで使うオフライン作業を映画の現場に持ち込んだのです。テレビサイズのモニターを見ながら、カット数の多い編集を行った結果、とてもスピーディで斬新な映画が完成したかと思ったそうですが、いざ大画面にそれを投影してみると、映像がぶれカット数が大すぎ見ているスタッフは具合が悪くなったそうです。驚いたベイは、大画面でチェックしながら編集をやり直したのでした。

完成した作品は、すべてのバランスがよくとれた映画に仕上がりました。思いテーマながら最後までそのテーマがぶれない。映画としては第一級エンターテイメント作品に仕上がっている。役者がとても高い次元で素晴らしい演技をしている。小道具のショットなどマイケル・ベイが得意とするショットが全体に冴えているetc....

そして、それまであまり有名ではなかった音楽家ハンツ・ジマーが素晴らしいスコア(実際には2曲)を作り、映像にマッチさせています。これ以降ジマーはブラッカイマーと仕事を多くするようになります。

映画は大ヒットし、ブラッカイマーはさらにハリウッドで偉大なプロデューサーとして認知されるようになりました。しかし映画が完成する前、ドン・シンプソンは息を引き取ります。諸説ありますが、薬が原因だったという説が有力です。ブラッカイマーは親友の死という問題を抱え、映画史に残る名作を作ることに成功しましたのでした。

尚、映画には、「この映画をドン・シンプソンに捧ぐ」というクレジットが入っています。


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