SSブログ

MGM [映画会社]


Metro-Goldwyn-Mayer

今回は、ライオンが「ガオー」と吠えるロゴでおなじみのMGMを紹介します。

1924年、アメリカで映画館チェーンを運営していたマーカス・ロウズは、ある問題を抱えていました。当時、映画館の競争は激しく、生き残るためには良い作品をいかに確保するかが課題となっていました。この問題を解決すべくロウズは、自分の映画館に安定した作品供給が行えるようにメトロ・ピクチャーズとゴールドウィン・ピクチャーズを買収します。これで、2社の制作する映画はロウズの映画館で上映が可能になりました。

しかし、新たな問題が勃発します。ロウズには映画を製作するという経験がなく、2社の運営は滞ってしまいます。そこで、ロウズは映画製作能力があり、2社を任せられる人物を捜します。ロウズが適任だと思ったのはルイス・メイヤーというプロデューサーでした。メイヤーはメイヤー・ピクチャーズという映画会社で社長兼プロデューサーをしていました。どうしてもメイヤーが必要だったロウズは、メイヤー・ピクチャーズを買収してしまいます。これにより、メイヤーはロウズ社の副社長に就任し、スタジオ部門のトップとなり3社を統括し映画製作を軌道に乗せました。ロウズによって買収したスタジオは3社の名前をとって「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」と呼ばれましたが、正式な社名はロウズ・インクでした。

MGMは、ロサンゼルス郊外のカルバー・シティに撮影スタジオを構え、本格的に映画製作に乗り出します。もともとメイヤー・ピクチャーズのロゴはオウムでしたが、合併を機にトレードマークをライオンにしました。メイヤーには早速大きな仕事が待ち受けていました。ゴールドウィン・ピクチャーズがローマで制作に入っていた大作「ベン・ハー」のマネージメントです。「ベン・ハー」は、大規模な制作になりすぎコントロールができなくなっていました。メイヤーは、この撮影をカルバー・シティに移し映画を完成させます。そして巧みな宣伝により映画を大ヒットに導きました。「ベン・ハー」の成功によりMGMの知名度は一気に向上し企業イメージもよくなりました。そして25年にはユニバーサル・スタジオを抜きハリウッドで一番大きなスタジオとなります。

MGMは、設立してすぐにゴールデン・エイジに突入します。MGM映画にとって豪華で気品のある作品が喜ばれるというポリシーで、豪華絢爛な作品が作られました。キャストもグレタ・ガルボ、ジョン・ギルバートなどの有名スターと次々に独占契約をして、映画に出演させました。バスター・キートンウィリアム・パウエルなどは独占ではなかったもののMGM映画で人気を博しました。新人の発掘にも力を入れ、1930年代には、クラーク・ゲーブル、ロバート・モントゴメリー、ネルソン・エディがスターダムにのし上がっていきました。

1930年には、初のオールカラー(テクニカラー)、サウンド・フィーチャー(絵と音が完全にシンクロする上映方式)の映画「ルージュ・ソング」を完成させます。

さらに同年、アニメ・シリーズを専門に制作していた会社から配給に関する権利を購入します。

このように色と音の技術を手に入れ、有名俳優とアニメという有力ソフトを手にしたMGMの躍進はさらに続きます。ロウズが経営する映画館チェーンはニューヨークを中心に展開していました。映画を見る客は文化的で目が肥えていました。MGMは、「オズの魔法使い」などアメリカ東部の客に受ける洗練された作品をおおく生み出しました。これが後のミュージカル映画の黄金期に繋がっていくのです。

1934年には、アニメ部門の強化のためヒュー・ハーマンとラドルフ・アイジングという二人のプロデューサーを起用しますが、制作費ばかりかかり成功しませんでした。しかしメイヤーは辛抱強くアニメ制作を続けます。アニメを作りつつけること10年。MGMにやっとスターが誕生しました。それが「トムとジェリー」です。トムとジェリーは、現在でも人気があるキャラクターとなりました。

戦中、戦後は、いよいよMGMの黄金期の頂点です。MGMは制作本数を減らし、よりお客さんに喜ばれる映画制作に注力していきます。そして新たに雇ったジュリー・ガーランド、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、フランク・シナトラらが次々にヒット作品に出演しました。

戦争で疲弊した国民は、複雑なストーリーの映画に興味を示しませんでした。ミュージカルのような派手で気持ちの良い映画を好んだのです。MGMの成功で、他のスタジオもミュージカル映画に参入してきました。そして競争が激化していきます。ミュージカル映画は、普通の映画と比べるとコストがかかります。音楽制作、練習、ダンスの準備など経費がかかりすぎるのです。MGMは、客が望むことを叶えるべく制作費をつぎ込んでいきました。そして、利益率が悪くなっていったのです。

映画がヒットしても儲からないというビジネススキームには問題があります。そこでMGMは立て直しを図りますがうまくいきませんでした。「雨に唄えば」「バンドワゴン」などヒット作は生まれますが、会社はだんだん経営が傾いていきます。

1954年、劇場チェーンと映画制作会社が同一であってはならないという考えがアメリカ政府に生まれます。この法令措置により、ロウズはMGMの運営から身を引いてしまいました。

MGMは、一気に谷底に放り出されてしまいます。1957年にはMGMを率いてきたメイヤーが死去し、会社は目的すら失ってしまいます。制作費は底をつき、有名俳優達との契約は全て破棄しました。数年前までは、会社の業績は右肩上がりで、大ヒット作を次々とリリースしていたとは思えないほどの急変ぶりでした。

その後のMGMは、次々とオーナーが変わる不遇な時代が続きます。1967年にはカナダの投資家Edgar Bronfman, Sr.、2年後にはネバダの億万長者Kirk KerkorianがMGMを買収します。カーコリアンは、MGMのスタジオと名前を売ってしまいました。MGMはこれで映画スタジオというビジネスから身を引くことになります。1979年、カーコリアンは、自分の運営するホテルにMGMの名をつけ、ホテル業とカジノ経営に集中していくのでした。カーコリアンは、「MGMは映画スタジオではなくホテル会社だ」と宣言します。カーコリアンは映画スタジオのひとつであるユナイテッド・アーティスト社(UA)を買収しますが、MGMとUAの過去の映画ライブラリーはテレビ局に放送権を売ったりしながら細々と映画業務も続けました。

1997年、MGMは、映画ライブラリーを収集しているJohn Klugeに買収されます。そしてMGM映画は20世紀フォックスにより世界配給がはじまります。この頃になるとビデオグラムの市場が形成されており、過去作品はビデオやDVDで発売すると、それなりに利益が生まれることが立証されました。そして、映画会社は、MGMの過去作品に商品価値を見いだします。大手映画スタジオがMGMライブラリーを購入しようと交渉を開始したのです。はじめに名乗りを上げたのはタイムワーナーでした。ワーナーはビデオ販売に力を入れており、ワーナーライブラリー以外にもビデオにする作品を探していました。そこに現れたのがSONYです。ソニーは、ベンチャーキャピタルと共同で、この宝の山を買収にかかりました。この2社が価格をつり上げ、結局ソニーが$5 billionという高額で落札しました。さらにソニーはMGMの負債$2 billionも肩代わりしたのです。

ソニーは日本がバブル時代に、コロンビア・ピクチャーズだけではなくMGMも買収していたことになります。ソニーは、その後、MGMライブラリーで商売をしながら、MGM映画の映画制作にも協力していきました。そしてその後MGMは、ソニーの元を離れ映画配給業に復帰すると宣言しました。

今後は、MGM映画は独自に配給されることになります。しかし、しばらくはソニー・ピクチャーズなどが支援します。また、ライブラリーはまだ複数社が保有しているので、これらをどうMGMに移管するかが問題となっています。とりあえず新007シリーズの海外マーケットはソニー配給となりました。ビデオライブラリーはソニーから20世紀フォックスに移りました。今後は世界的にMGM作品は20世紀フォックスから発売されます(ソニーから発売されているMGM作品は生産終了となります)。

2006年11月、MGMは、トム・クルーズと彼の制作会社クルーズ・ワグナー・プロダクションと契約を結びました。これにより、今後のトム・クルーズ作品はMGMが製作配給することになります。

2006年末現在、MGMのライブラリーはいったい誰が保有しているのでしょう。1986年以前のMGM作品はタイムワーナーが保有しています。「オズの魔法使い」などはワーナーからDVDが発売されています。1986年以降の作品は、MGMが保有しています。

一度は、なくなってしまったかに思えたMGMは、ここに来て一気によみがえってきました。あのライオンが吠えるロゴを頻繁に観ることができる日も近いのではないでしょうか。


nice!(5)  コメント(7)  トラックバック(1) 

nice! 5

コメント 7

小さい頃、映画館でMGMのロゴを見て泣いてしまった(^▽^;)
最初見たときはライオンが出てくるようで怖かった。
いい映画も数多く、最近は見ないロゴ。また復活してくるのはいいことです。
すばらしい作品に期待。
by (2006-11-12 15:40) 

DSilberling

nekoさん、こんにちは。
MGMロゴは、私にとっては名作のイメージです。
トムとジェリーでは、ライオンのところにトムがいたりして笑えました。
by DSilberling (2006-11-12 16:58) 

かおり

こんばんは♪
MGM、どの映画会社のロゴよりもなじみが深いですね^^
”トムとジェリー”で毎日見ていましたもの・・・
それも何年も何年も繰り返し!
それにしても会社自体の変遷は今回特に複雑でよく飲み込めていないかも
またじっくり読ませていただきますね!
by かおり (2006-11-12 20:05) 

DSilberling

青い花さん、こんにちは。
MGMは、ラスベガスのあのホテルになってしまったんですね。
でも、映画会社として復活します。ロサンゼルスのセンチュリーシティには大きなビルもできました。
今後の復活劇が楽しみです。
by DSilberling (2006-11-12 21:14) 

TaekoLovesParis

MGMは小さい頃からアメリカ映画のマークみたいなものでした。
ライオンが3度なくのはお金がかかかっている映画、2度は普通の映画という
話を中学生の頃、きいて、皆で「ほんと?」って思ったまま今でも疑問です。
小さい頃はライオンがほえるから、映画が威厳のあるものに思えてました。
「ベンハー」が大ヒットだったんですね。3度ないていましたよ。
「雨に歌えば」はJust walikng in the rainという歌で後々まで有名な映画なのにもうからなかったとは。。。ビジネススキームって基本ですね。
SONYもからむ歴史があって、たくさんの財産がいかされてくる今後のMGM、
この記事で少し歴史がわかったので、これからに注目していますね。
by TaekoLovesParis (2006-11-13 08:18) 

DSilberling

Taekoさん、こんにちは。
ライオン君は何回か交代しています。
だから時期によって啼く回数が違うんです。
by DSilberling (2006-11-15 10:15) 

yk2

初めまして。拙blogへのご訪問とnice、ありがとうございました。

僕はjazzが好きなのですが、スタンダード・ナンバーの由来を辿ると、上↑でtaekoさんも書かれてるジーン・ケリーの「雨に唄えば」やフレッド・アステアらが出演した「バンド・ワゴン」などのMGM映画に行き当たることが多く、そう云った面で今も気になる映画会社です。MGMの歴史由来から現在まで、読ませて頂いてたいへん勉強になりました。
by yk2 (2006-12-18 01:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

E.T.ブラックレイン ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。