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パラマウント・ピクチャーズ [映画会社]


Paramount Pictures

「レイダース」の冒頭、パラマウント・ピクチャーズのロゴが同じような形の山にフェードします。その山からカメラが移動すると、そこは、秘境の地。「インディ・ジョーンズ」シリーズの冒頭は、必ずパラマウントのロゴからフェードした山から物語が始まりました。映画館でこの映像が始まるとわくわくしたことを思い出します。今回は、山のマークで有名なパラマウント・ピクチャーズについてです。

パラマウント・ピクチャーズは、アメリカのメジャースタジオのひとつです。アメリカで一番歴史のある映画スタジオ、そしてビスタビジョン(ビスタサイズ)を開発した会社として有名です。山のロゴのまわりの★は会社設立時の所属俳優の数だそうです。現在は、バイアコムという会社の傘下に入っています。

<歴史>
ハンガリー出身のアドルフ・ズーカーは移民労働者として、モップ拭きからスタートして毛皮商として成功し、1912年、「フェイマス・プレーヤーズ・フィルム・カンパニー」を設立します。この会社は、当時、低所得者に人気のあったニッケルオデオンを運営する会社でした。
その後、ズーカーは、パートナーのダニエル・フォーマン、チャールズ・フォーマンと中産階級向けの長編映画制作に乗り出すことを考え、事業を拡張し成功を収めます。

同じ時期、ボードビリアンのジェシー・ラスキーは、手袋商のサミュエル・ゴールドフィッシュ(後にゴールドウィンと改名)から資金提供を受け、「ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニー」を設立しました。ラスキーが初めて雇った社員は、監督経験のない風変わりな脚本家、セシル・B・デミル。デミルは、1913年ハリウッド初の長編映画「スクォー・マン」を製作することになり、後に有名監督となります。

1914年、フェイマス・プレイヤーとラスキーの2社は、共同で配給会社「パラマウント・ピクチャーズ」を立ち上げます。そしてユタ州の小さな映画会社をまとめ上げたW.W.ホドキンソンと提携し広域な映画配給網を構築し、アメリカで初めて映画スタジオとして全国的な成功を収めました。D・W・グリフィスが『國民の創生』(1915年)、『イントレランス』(1916年)を次々発表し、さらなる成功を収めていきます。

1916年、ズーカーは、フェイマス・プレーヤーズ・フィルム・カンパニー、ラスキー・フィーチャー・プレイ・カンパニー、パラマウント・ピクチャーズの3社を統合します。そしてできた新会社が「フェイマス・プレーヤーズ=ラスキー」という会社です。この会社は「十戒」などを制作し急成長していきます。デミルが魅力のある作品を監督、W.W.ホドキンソンが配給を統括し、ズーカーは、ビジネスを拡張していきました。

フェイマス・プレーヤーズ=ラスキー社は、2つの革新的なアイデアを確立しました。ひとつは、人気スターの出演作を次々購入・製作していったのです。いわゆるスターシステムを開発したのです。市場を奪われた興業者たちの間では「ズーカーを止めろ!」が合言葉になる程でした。当時の社のスローガンは「Famous Players in Famous Plays」でした。もうひとつは、ブロックブッキングという興行システムを確立したことです。このシステムは現在でも日本では主流の配給・興行スタイルです。全米の劇場をチェーン化して、映画の上映する劇場や期間をスタジオが支配するのです。これにより安定的な映画興行が行われるようになりました。このブロックブッキングは、1949年、独禁法違反となりパラマウントは興行部門を分離することになります。

1927年 社名をパラマウントに改称、ズーカー率いる同社は、全米2000スクリーン、2つの制作会社、CBSラジオの50%の株式を保有する巨大メディアに成長していました。そして、次々と大きな劇場チェーンを買収し、傘下におさめていったのでした。

この頃になると、設立当初のパートナーは去り、ズーカーだけが社を取り仕切るようになっていきました。あまりの豪腕さに仲間がついて行けなくなってきたのです。そして、そんなタイミングで大恐慌が起こります。会社の株価をつり上げ、その価値で次々と企業を買収を行っていた経営は一気に破綻します。結局1933年 財政難で破産宣告をされてしまいました。

パラマウントのアニメ部門は「ポパイ」と「ベティー・ブープ」の2作がヒットし、健全経営を続けてきました。しかしこの2つのキャラクターの権利は社の経営が傾くと抵当に入れられ、他社に渡ってしまいました。

1935年 再建が行われ、新生パラマウント・ピクチャーズは、20年という長い期間を得て復活します。1940年代に会社更生法の解除をきっかけに、パラマウントは映画制作を開始します。しかし、アメリカ政府は独禁法を盾にパラマウントの経営を監視し、ついにこの対立は法廷に持ち込まれます。そして長い法廷闘争の末1945年に制作部門をパラマウント・ピクチャーズ、工業部門をユナイテッド・パラマウント・ピクチャーズに分離することが決まりました。

会社を2つに分離させられるという痛手を負った同社は、積極的にテレビ業界に進出します。そして西海岸に3つのテレビ局を開局します。しかし、これも独禁法違反といことで政府に分離させられてしまいました。

その後のパラマウントは、どんどん傾いていきます。映画産業自体も将来がないとされ、おおくの作家や俳優は離れていきました。そして会社の価値もどんどん下がっていったのです。名誉職に居座っていたズーカーは、それでも発言権を持ち、会社が反映する夢を見続けていました。


1966年、遂にパラマウントは価値を失い、Gulf and Westernというコングロマリットに身売りされてしまいました。ここで長い歴史を誇ったズーカーのパラマウントは一度歴史を停止してしまいます。

もう復活はないと思われた、Gulf and Western傘下のパラマウントは「ハリウッドをやっつけろ」で有名なロバート・エバンスをプロデューサーとして抜擢します。エバンスは、「ある愛の歌」「ローズマリーの赤ちゃん」「ゴッドファーザー」など大ヒット作を連発します。この一連のヒット作のおかげでパラマウントは、ハリウッドの大メジャースタジオとして復活しました。映画ビジネスというのはこのように誰も予想がつかないのです。この勢いに乗り、Desilu television studioを買収したパラマウントは、テレビドラマでも成功を収めていきます。「スタートレック」と「ミッション・インポッシブル」シリーズです。このテレビ制作会社はコメディ番組の制作でも収益を上げ続けました。エバンスが去った後にはジェフリー・カッツエンバーグやドン・シンプソンら優秀なプロデューサーが引き継ぎ「サタデーナイト・フィーバー」や「グリース」など音楽映画をヒットさせていきます。

80年代にはいると、「フラッシュダンス」「13日の金曜日」シリーズ、「インディ・ジョーンズ」シリーズ、「ビバリーヒルズ・コップ」シリーズと大ヒット作品が次々に制作され興行収入のトップを独占する時代が続きます。「アトランティック・シティ」や「フォレスト・ガンプ」のような名作も制作し興行と賞の両方を得ていくのでした。テレビ番組もうまく推移します。エディ・マーフィーは大人気になり「スタートレック」も高視聴率をとり続けました。

この高利益の会社は世間でも注目を集め、コングロマリットのバイアコムはパラマウント買収を画策します。業績の良いパラマウントは強気に出ますが、結局$10 billionという高値で1994年バイアコムが傘下におさめて現在に至ります。

<日本のパラマウント・ピクチャーズ>
日本では、パラマウント映画はUIPが配給を行っています。この会社はパラマウントとユニバーサルが共同で設立したアメリカ以外のテリトリーの配給を扱う会社です。本社はイギリスにあります。よってパラマウントの作品は、イギリスを通って日本にやってくるのです。かつてはビデオもUIPが扱っていましたが、現在はパラマウント・ホームエンターテイメント・ジャパンが設立され、同社が扱っています。

興行に関しては、アメリカから遠く離れているので、世界的なヒット作でも日本では興行的に失敗してしまうことがおおい会社です。

<パラマウントの作品 : My Blog>
レイダース

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説

インディ・ジョーンズ 最後の聖戦

フォレスト・ガンプ 一期一会

エリザベスタウン


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コメント 6

パラマウント・ピクチャーズは、よい永が多いので順風満帆と思いきや歴史的にいろいろあったのですね。本を読まずにブログで読めてよかった。
私の好みとしては80年代の作品が一番好きです。
今後はどのように進むのでしょう?
by (2006-10-14 09:53) 

DSilberling

nekoさん、こんにちは。
私もパラマウントの80年代映画が好きです。
現在は、Viacom傘下で安定していますよ。アメリカではヒット映画を沢山製作していますが、日本ではそれらが話題になりません。日本部門が弱いのが原因です。これが一番悲しいですね。
by DSilberling (2006-10-14 11:25) 

TaekoLovesParis

パラマウントの山のまわりの星の数にはアメリカ国旗の星数と同じく意味が
あったんですね。インディージョーンズの山、そうでしたね!
「セシルBデミルシネマウォーズ」という映画があって、これがすごくおもしろかったのです。メラニー・グリフィスふんする女優を誘拐してスタジオで映画を作る
話。時代を今におきかえていたので、昔の「十戒」の名監督とは。。。

それぞれの映画会社に陽の当たる時期と当たらない時期があるんですね。
たしかに未来の予想はつきませんね。
パラマウント作品はイギリスを経由して日本に来るんですか。。だから封切
作品でも2004年なんて書いてあったりするんですね。
by TaekoLovesParis (2006-10-15 14:04) 

DSilberling

Taekoさん、こんにちは。
パラマウントもいろいろな歴史がありました。あの山のマークは、品があって好きです。「恋しくて」という映画のオープニングはロゴにドラムの音がかかっていてとてもかっこよかったです。

残念なのは、映画もDVDも日本に来るのが遅いのと、きちんと宣伝されないことです。
映画を作ったスタッフの熱がイギリス経由で冷めてしまうのが原因かもしれません。
by DSilberling (2006-10-15 14:42) 

かおり

ちょっと留守の間にどんどん更新されてて読むのが大変です(笑)
どの映画会社も最初のロゴにはたくさんの意味があるんですね
星の数のことなんか気にもしていませんでした・・・
インディ・ジョーンズ・シリーズ、私も大好きな映画ですが
冒頭の部分を見直してみようっと!
後の記事もゆっくり読ませてもらいに来ます♪
by かおり (2006-10-15 23:32) 

DSilberling

青い花さん、こんにちは。
週末は時間があったので、結構書きました。消えるわけではありませんので
ゆっくり読んでください。
by DSilberling (2006-10-16 08:55) 

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